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肛門直腸がん誤診事件

病理検査や大きな外科手術を出来ない病院では,検査会社や他の病院に検査や外科手術を依頼しますが,施設間のコミュニケーション不足から医療ミスが起こることがあります。

この事件では,癌ではなかったのに,肛門直腸癌と誤診され直腸を切断されたうえに永久人工肛門が造設されました。患者さんは60代女性で,市の大腸がん検診を受けたところ便潜血反応が陽性となり精密検査を受けるためA病院を受診しました。A病院で内視鏡検査が実施されましたが,特に異常は見られず直腸下部にほんの僅かな炎症が見られたのみでした。A病院の医師は,念のため炎症部から生検(検査をするため組織を採取すること)し,A病院には病理検査部門がなかったためB検査会社へ病理検査を依頼したのですが,病理検査依頼書に,本当は直腸から生検をしたのに肛門から生検したと記載しました。

B検査会社の病理医は,生検プレパラート(採取した組織を薄く切ってガラスに貼り染色液で染めたもの)を顕微鏡で観察したところ,病理検査依頼書には肛門から生検したと記載されていたのに肛門には存在しない粘液を分泌する細胞が見られたため肛門の粘液腺癌と診断しその旨の病理診断報告書をA病院に提出しました。

肛門の粘液腺癌といえば進行癌ですから,内視鏡検査ではっきり癌と分かるレベルであり,実際の内視鏡所見と整合しません。まともな医師なら病理診断結果に驚いてもう一度内視鏡検査をやり直すなり,癌の鑑別に必要な他の精密検査を実施するはずですが,A病院の担当医師は,直腸診(直腸指診,直腸内触診とも言います。医師が肛門から人差し指を挿入し感触で調べる検査です)で肛門より直ぐ上に硬く触れる部分を認めただけで癌と早合点し,患者に,A病院では手術が出来ないからC病院で手術を受けるよう勧め,肛門直腸癌の診断名を付け,手術適応と記載したC病院消化器外科宛の患者紹介状を作成しました。

C病院の医師は,A病院から手術適応と記載された患者紹介状とB検査会社の病理診断結果報告書を受け取り,A病院で癌の確定診断がなされ手術依頼を受けたと思い,術前検査で異常所見が何一つなかったのに,直腸診で粘膜下層浸潤癌(SM癌)と判断し腹会陰式直腸切断術及びS状結腸単孔式人工肛門造設術を実施してしまいました。

■医療ミスの原因(その1)なぜ病理診断ミスが起こったか?

本件は,単純な病理診断の誤りではありません。B検査会社の病理医は,ベテランのしかも高名な病理医でした。それなのに何故病理診断を誤ってしまったのでしょうか。生体を顕微鏡で観察すると組織毎に特有の構造をしています。肛門は皮膚と同じ構造で重層扁平上皮という,細胞が扁平に幾重にも重なった構造をしています。腸は,単層円柱上皮といって円柱状の細胞と腸管などの粘膜上皮に見られる粘液を分泌する杯細胞が単層に並んでいます。病理医は,病理検査依頼書に肛門から生検したと書かれているのみで生検採取部の詳しい説明やイラスト,内視鏡写真の添付もなかったので肛門から採取された組織だと誤解し,重層扁平上皮が見えると思って生検プレパラートを顕微鏡で観察したところ,肛門には存在しない粘液を分泌する細胞が見られたため肛門の粘液腺癌と誤診してしまったのです。

内視鏡所見が炎症で病理診断結果が癌と,診断結果が食い違っていたのですから,病理医は,疑問に思ってA病院に生検部位や臨床所見を問い合わせるなり,病理診断結果報告書に「癌の疑い」と記載すべきで,この点落ち度はありますが,A病院の病理検査依頼書に直腸から生検したと正確に記載されていれば病理診断を誤ることはなかったはずです。

裁判でこの病理医は,「生検の採取部位を誤認して診断することは,病理医としてあってはならないことであり,誤ると正しい診断に導かれない。」と述べておられましたが,A病院の医師が生検採取部位を正確に伝えなかったために病理診断ミスが起こってしまったのです。

■医療ミスの原因(その2)A病院の2つの大罪?

第一に,もしA病院の内視鏡検査を実施した医師が,病理検査依頼書に生検部位を正確に記載すれば,病理診断を誤ることはありませんでした。

第二に,A病院は,内視鏡検査で軽微な炎症所見しか見られなかったのにB検査会社の病理診断結果が進行癌だったのですから,病理診断結果に疑問を持ち病理医に問い合わせるなり,内視鏡検査をやり直すなり,癌の鑑別診断に必要な他の検査を実施すべきでした。もし自分の病院で検査をしないのであれば患者紹介状に「癌疑い,精査をおねがいします。」と記載すべきでした。

ところが,A病院の医師は,精密検査を実施せず直腸診だけで肛門直腸癌という確定的診断名を付けてC病院宛てに手術適応と記載した患者紹介状を作成し,それによってC病院の消化器外科医に確定診断が済んでおり手術を依頼されたと誤解させてしまいました。

■医療ミスの原因(その3)C病院の消化器外科医はなぜ手術をしたか?

C病院では,術前にCT検査,造影CT検査,骨盤部精査MRI,注腸造影検査,腹部超音波検査,血液検査を行いましたが癌を疑う異常所見は見られませんでした。医師の中から内視鏡検査を行うべきとの意見も出ましたが,A病院で実施したという理由で再検査を行いませんでした。C病院の消化器外科医は,直腸診で肛門管内に硬く触れる部分があったので,それだけでSM癌と判断し腹会陰式直腸切断術及び人工肛門造設術を実施してしまいました。切断した患者さんの直腸にはどこにも癌はなく,C病院の病理検査室でB検査会社から患者さんの生検プレパラートを取り寄せて再鏡検したところ癌ではなく病理診断が誤っていたことが分かりました。

C病院の消化器外科医は,術前検査で異常がなかったのになぜ手術をしてしまったのでしょうか?A病院の手術適応と記載された患者紹介状やB検査会社の病理診断結果報告書を見て,A病院で確定診断がなされ手術依頼を受けたとの先入観から手術を思いとどまることが出来なかったのだと思います。

他施設から患者の手術を依頼された場合でも他施設の診断内容を鵜呑みにせず,自らの施設で評価し診断すべきであり,まして腹会陰式直腸切断術は,肛門機能廃絶という重大な機能障害を残す手術ですから臨床所見と病理所見が全く整合しない場合に,確定診断をなさずにいきなり手術するのは許されないことです。

■直腸診で硬く触れた部分は何であったか?

A病院の医師もC病院の医師も直腸診だけでSM癌だと診断しましたが触って分かれば苦労はありません。術後,切除組織の病理検査の結果,術前にSM癌と診断されていた肛門管のしこりは粘膜脱症候群の所見で異常細胞は認められませんでした。粘膜脱症候群は,長い排便時間の習慣を持つ中高年者に多い疾患で直腸粘膜がたるんで脱出を繰り返し直腸粘膜が傷ついたり粘膜の血流が乏しくなって直腸に潰瘍や隆起性病変ができるもので,これ自体は排便習慣を変えれば改善するので手術の必要はありません。

医療裁判の推移について

A病院,B検査会社,C病院の3施設を被告として損害賠償を求めて提訴しました。裁判では,B検査会社が生検の病理診断に誤りがなかったと主張したため,C病院の検査義務違反の審理の前に病理診断結果が争点となりました。原告から病理医及び消化器外科医の各3通の私的鑑定意見書を提出して争いましたが,裁判官は判断出来ず,裁判所から3つの大学の医学部病理学教室へ鑑定に出され決着しました。最終的に3000万円で和解し,支払金の負担は,B検査会社が2100万円,C病院が900万円となりました。C病院には病理検査室があり術前何の異常所見もなかったのですから内視鏡検査をやり直すか少なくともB検査会社の生検プレパラートを術前に再鏡検していれば防げた事故でありB検査会社よりC病院の過失の方が重いと思いましたが,この負担割合になったのはB検査会社が裁判で病理診断の誤りを争ったためではないかと思います。

この事件でB検査会社とC病院に落ち度があるのはもちろんですが,A病院の病理検査依頼書がB検査会社の病理診断を誤らせ,A病院の患者紹介状がC病院の消化器外科医の判断を誤らせており,B検査会社やC病院もある意味A病院の犠牲者といえます。諸悪の根源はA病院だと思いますが,裁判官は,A病院の情報提供義務違反を認めませんでした。ただし,裁判官はA病院の責任を吟味した上で判断したのではなく,転勤してきたばかりで内容を把握していなかったようでした。医療裁判は,裁判長,右陪席,左陪席の合議制で行われますが,2年半で裁判官が3人とも変わり,終盤には事件を知る裁判官はだれもいなくなりました。医療裁判で患者が勝つのが難しい理由の一つは,裁判官が転勤で替わってしまうこともあります。

裁判の後日談

複数の医療機関が関与し,各施設とも誤診を見直す機会が何度もあったのに見直されなかったことが本件の最大の問題点でした。C病院ではこの事件を機に,他施設で病理検査が実施されていても,必ず自分の施設で病理検査を実施するようになったとのことで,原告患者の長く辛い闘いが事故の再発防止に繋がったことがせめてもの救いです。

患者になったときのポイント!

本件事故は,医療施設間のコミュニケーション不足と医師の先入観に原因がありました。このような事故を防ぐために患者は何ができるでしょうか?本件の患者さんは,本当は異常がなかったのに進行癌と診断されたわけですから疑問に感じたはずです。患者さんに伺ったところ,びっくりしてパニックになったと仰っていました。それでも患者さんは,医師から外科手術で一生人工肛門になると告げられたときには,人工肛門にしない方法はないかと尋ねたそうですが,医師から「手術しないと死ぬよ。」と強い調子で言われ,それ以上何も言えなくなったそうです。後悔先に立たずですが,元気そのものだった患者さんが,もし診断結果に疑問を持って,全く別の病院で検査をし直していたら事故は防げたかもしれません。自分の体は自分が一番良く知っているのですから,少しでも疑問に思ったら他所の病院で検査を受け直すのも選択肢の一つです。実際,あり得ない事故が起きているのですから,「医師にお任せ」は失敗の基です。

■左右腎取り違え事件

腎臓は,血液から老廃物を取り除いて尿として体外に排出する血液浄化を行うソラマメの様な形をした臓器で左右一対あります。

患者さんは,60代後半の男性で,右腎臓に癌が見つかったことから右腎臓摘出術を受けることになりました。ところが,手術で誤って異常のない左の腎臓を摘出されてしまったという事件がありました。医師は,摘出してから左右取り違えに気が付き,急遽大学病院に応援を要請し自家腎移植を行ったのですが生着せず,結局再度左腎臓の摘出が行われました。癌のある右腎臓まで摘出してしまうと腎臓の機能が失われてしまうことから,癌のある右腎臓をそのまま残したところ癌が肺に転移に患者さんは亡くなりました。

■左右腎の取り違えは何故起きたか?

事故の原因は,単なる不注意でした。通常,左右取り違えないよう手術室入室前に手術部位に油性マジックで印をつけることになっているのですが,この患者さんの場合,術前のマーキングが忘れられていました。手術室で看護師が手術しようとした医師たちに,「左右逆ではありませんか?」と注意しましたが,執刀医と助手の医師は,手術室のシャーカステン(フィルムを見やすくする照明の付いたボード)に貼った患者のCTフィルムを確認して「いや,間違いない。」と言ってそのまま手術を開始してしまったのですが,実は,助手の医師がCTフィルムをうらおもて逆にシャーカステンに貼ったため左右が逆になっていたのです。本当は,注意してフィルムを見れば,例えうらおもて逆に貼ってあっても間違いに気づけるのですが,執刀医も助手も気づきませんでした。

■事件の結末

この事件が刑事事件になった詳しい経緯は分かりませんが,私が患者家族に頼まれ代理人に就いたとき,執刀医と助手の医師は既に業務上過失傷害罪で送検されていました。被害を受けた患者家族は大変優しい方々で,事故が起きたことは残念だけれど,事件のせいで先生方の医師としての人生が終わりになって欲しくないとおっしゃって検察庁に医師たちが罪に問われないよう手紙や嘆願書を提出しました。事故後,医師が真摯に謝罪したので,患者家族は罪を憎んで人は憎まずという気持ちになったそうです。

結局,執刀医だけが業務上過失傷害罪で罰金刑となり,その後,厚生労働省から医業務停止1年間の行政処分が下されました。

腎臓だけではない! 手術部位の取り違え事件

手術部位の左右取り違えは,腎臓だけではありません。膝(変形性膝関節症の手術)や眼(硝子体の手術)で異常のない方を手術してしまい,結局左右両方手術されたケースがあります。交通事故などで頭部を強く打ったとき急性硬膜下血腫になることがあります。血腫量が多くて脳を圧迫して危険な場合,開頭血腫除去術といって頭蓋骨に孔を開け血腫を除く手術をしますが,血腫があるのと反対側の頭蓋骨に孔を開け血腫がないので左右取り違えに気付き反対側の頭蓋骨にも孔を開けられてしまったというケースもあります。歯科では間違って違う歯を抜いてしまうことが結構ありますが,歯の場合すぐ戻せば生着するそうです。ただ,一度抜いた歯の寿命は短くなるので着いたから良いとは言えません。

■取り違え事件は年間どの位起きているか?

取り違え事件は年間どの位起きていると思いますか?日本医療機能評価機構の報告では,事故の報告義務のある274施設と任意に報告した医療施設だけで左右取り違えが年間5件程起きています(2007年1月1日〜2010年11月30日で21件)。この他,処置する部位の取り違えが27件/年,患者の取り違えが23件/年と報告されています。日本全国の医療施設数は17万8092(平成27年)ですので,毎年同じ割合で事故が起きているとすると取り違え件数は大変な数になります。

患者になったときのポイント

左右取り違えないよう,病院は,基本的に手術室入室前に患者にマーキングを行うこととされています。もし,手術室に入る前に手術部位にマーキングがされていないときは,要注意です。局所麻酔であれば患者は自分で左右逆だと医師に伝えられますが,全身麻酔の場合は意識を失ってしまいますから,もし手術部位にマーキングがされていなかったら,麻酔前に医師,看護師に手術部位を確認するなどアピールをした方が良いかも知れません。

病院は医療事故と認めても賠償しないことがある?

医師や病院が医療事故を認めていても,それが必ずしも医療ミス(医療過誤と同じ)を認めているとは限らないので注意が必要です。法律相談を受けると,よく患者さんや患者さんの家族から,「病院は医療事故を認めているので賠償してもらえると思います。」,と言われることがあります。しかし,詳しくお話を伺ってみると,病院側は,医療事故が起きたこと自体は認めているのですが,医療ミス(医療過誤とも言います)を起こしたことは全く認めておらず賠償されないケースがとても多いです。

医療事故と医療ミス(医療過誤)はどう違う?

患者と病院でこのような行き違いがある原因は,“医療事故”という用語の意味にあります。通常事故というと何らかのミスがあったことが前提となりますが,医療事故は,過失がある場合と過失がない場合の両方を含むのでしばしば患者側に誤解が生じます。過失がない場合とは,やむを得ない合併症をいいます。例えば,耳下腺腫瘍の手術では,耳下腺の中を通っている顔面神経の温存に配慮しながら腫瘍を切除しますが,悪性度が高く癌が顔面神経や周囲組織へ浸潤している場合は,癌をきちんと取りきるためにそれらを合併切除する必要が生じます。そのため術後,手術に伴う顔面神経の損傷により顔面神経麻痺の後遺症が残ることがありますが,これは手術に伴うやむを得ない合併症であって,医療ミスとはいえませんので病院に責任を追及することはできません。

ですから,医師や病院が医療事故だと認めている場合でも,医療ミスだと認めているかを確認しなければ賠償されるかどうか分かりません。

道義的責任と法的責任

医療事故の後,患者さん,患者さんの家族や遺族が病院に対し損害賠償を求めると,病院から,「道義的責任は認めますが法的責任は認めません」と回答が来ることがよくあります。これは,過失のない医療事故,つまり「事故が起きて申し訳ないとは思うけれど過失はないから損害賠償には応じられません。」という意味です。ですから,医療事故について話し合っているとき病院側からこのような発言がなされたら病院は過失を争うのだ,と考える必要があります。 

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