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医師は,航空機内のドクターコールに応じる?応じない?

院内で医師を呼ぶことをドクターコールといいますが,航空機内で急に体調の悪い乗客が出て,「お医者様はいませんか?」と医師を呼び出すアナウンスもドクターコールといいます。医師に対し,機内のドクターコールに応じるかというアンケート調査をしたところ,回答した758人中,ドクターコールに応じると答えたのは34%,応じないは17%,その時になってみないと分からないが48%で,応じた経験のある医師のうち24%は次の機会は応じないと回答したそうです(日経メディカル5月号特集連動企画「ドクターコール」に応じますか?2007/5/1)。医師が,機内のドクターコールに応じない理由は,いろいろあると思いますが,法的責任を問われるのではないか心配という声が多かったそうです。機内でドクターコールに応じたところ急病人が死亡した場合,医師は責任を問われるでしょうか?

通常の医療ミスで問われる医師の法的責任

院内で医療ミスを起こした場合,医師は,民事損害賠償責任を問われます。患者が死亡した場合は,刑事責任を問われ業務上過失致死罪になる場合があります。業務上過失致死傷罪について刑法第211条は,業務上必要な注意を怠り,よって人を死傷させた者は,5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処すると定めています。さらに,罰金以上の刑に処せられると行政責任も問われ厚生労働大臣の行政処分(戒告・医業停止・免許取消)を受けます(医師法7条2項,4条3号,4号)。しかし法は不可能を強いるものではありません。法的責任追及をされる過失は,結果予見可能性及び結果回避可能性を前提とした結果回避義務違反のある場合です。結果を予見することが不可能であれば過失は問えません。また,予見可能であっても結果を回避することが不可能なら過失は問えません。結果を予見可能でかつ結果回避可能であったのに不注意で結果を回避しなかった場合に初めて法的責任が問われるのです。

航空機内の医療行為で医師は法的責任を負うでしょうか?

病院での診療行為なら過失だとしても,航空機内には医療施設はなく,CTやMRIなどの検査もできず,医療機器も医薬品も殆どなく,できることは限られており,しかも緊急の状況ですから,医師に求められる注意義務は軽減され刑事責任が問われることはまずありません。民事責任については,民法698条(緊急事務管理)に「管理者は,本人の身体,名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは,悪意又は重大な過失があるのでなければ,これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。」という定めがあります。事務管理というのは,法律上の義務がないのに他人のために事務を処理することで,例えば,行き倒れた人を病院に運ぶ場合がこれに当たります。機内でドクターコールに応じる法律上の義務はありませんから事務管理といえます。緊急の状況下で,検査ができず,医療機器も医薬品も殆どない機内ではできることが限られていますので原則責任を負いません。たとえば,強い胸痛を訴えている乗客が実は大動脈解離だったとしても検査ができなければ診断出来ませんし,仮に診断できたとしても機内では治療出来ません。急病人が重症の場合,航空機内では専門医でも救えないのですから,まして医師というだけで,医師なら何でもできるだろうと過剰な期待をするのは酷というものです。医療の分野は細分化しており,専門外のことは殆ど分からないのが実情だからです。したがって,航空機内のドクターコールに応じた医師は原則法的責任を負いません。ただ,損害賠償請求をするのは患者遺族の自由ですから,裁判等のリスクはゼロではありません。仮に提訴されても重大な過失がない限り賠償責任を負わないのは勿論ですが。

応召義務は負わないか?

航空機内でドクターコールに応じる法律上の義務はないと述べましたが,医師には応召義務があるのではないか,と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。応召義務とは,診療に従事する医師は,診察治療の求めがあった場合には,正当な事由がなければ,これを拒んではならないという定めです(医師法19条1項)。しかし,応召義務は,医師が医療施設で診察をする場合のものですので,乗客である医師が機内ドクターコールを無視しても応召義務違反にはなりません。

外国航空機内の場合は?

以上は,日本の航空機内の場合ですが,外国航空機内の場合でも,ドクターコールに応じて急病人が死亡しても原則刑事責任は負いません。外国航空機内の外国人の急病人の場合の民事責任は一概には言えませんが,例えばアメリカ・カナダには良きサマリア人の法(good Samaritan law)といって,事故あるいは緊急の場合に,無償で善意に基づき救助を行った場合、故意又は重大な過失がない限り民事上の賠償責任を負わないという法があります。ただ,民事責任については,最終的に責任を負わないとしても損害賠償請求される可能性はゼロではないのでリスクは伴います。航空会社が賠償金を負担するか,海外旅行保険で保険金が支払われれば良いですが,支払われるかは航空会社や保険会社の約款次第です。

航空機内で実際にドクターコールをされた患者の症状

日経メディカルのアンケート調査によると,回答者758人中,実際に機内ドクターコールに応じた医師200人(26%)が実施した処置は,安静を保つが52%,経過観察が33%,内服薬,外用薬使用が17%,注射薬使用が10%で殆どが軽症でしたが,救命救急措置が必要だった患者が6%(12人)あったとのことです。

原則法的責任を負わないとしても損害賠償請求されるリスクがゼロではないとすると医師は機内ドクターコールに応じ難くなります。他方患者の立場で考えると医師にはできる限り機内ドクターコールに応じて欲しいと思います。たとえ何もできないとしても,誰もいないよりは専門家である医師が傍で見守っていてくれるだけで患者は安心するでしょう。

なお,乗客が自己の病気を航空会社に隠して搭乗し緊急着陸を要した場合,乗客は航空会社に対し損害賠償責任を負う可能性があります。

まとめ

機内ドクターコールに応じて急病人が死亡しても原則医師は法的責任を負いません。しかし遺族から損害賠償請求される可能性はゼロではなく,たとえ民事裁判で負けないとしてもトラブルに巻き込まれるリスクはあります。医師の個人情報が特定されなければ損害賠償請求できませんので,航空会社が遺族に医師の名前や連絡先を知らせない限り損害賠償請求される事はないはずですが,医師が法的責任を心配せずに機内ドクターコールに応じられるようにするためには,ボランティアの医師にリスクを負わせるのではなく,医師に協力要請をする航空会社が,医師に損害賠償責任を負わせず航空会社がリスクを負担する旨を明確にすべきであり,実際にそのような対応をしている航空会社もあります。なお,機内ドクターコールに応じて裁判で争われたケースは現在までのところはないそうです。

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